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2025/10/13 23:56 |
趣向全開で蒼紅主従語ってみようか

などと申しましても何を今更という感じがしますが、うんヵ月ぶりに動画を漁り散らしたい周期に入り、久しぶりに本家のpvや手書き動画を片端から見て回っていたので、現在燃料満タンなのであります。
みんなばさら楽しんでますね。そういう方たちの作品を見ると、こちらも元気をもらえます。

ということで、最近企画中の自分の佐幸を見て思うところを。公式動画も一応見てますがそのネタはかすりもしませんあしからず。


書いてて気づいたのですが、私はやっぱり佐幸はなにはともあれべたべたいちゃいちゃしてればいいと思っているようです。
なにしろ安心感の佐幸。ほのぼのにゃんにゃんしてるのが何よりの至福です。

なので、アニメやその他もろもろの作品で、どちらかが相手の背中を見ていたり、本心の弱音吐露していたりすると、早くぎゅってしてあげなよ! とすごくもにょもにょします。
まあそれは真田主従に限らず、おじいちゃんと孫とか上司と部下とか、そこは抱きしめて頭なでてあげるだけでいいんだよ と思う場面は数知れません。
ですが、大抵私の期待は応えられることなく、おとなしい会話で終了してしまいます。
小咄中で問答無用に接触が多いのは、そのあたりの不満足が馬鹿正直に反映されているためと思われます。


しかし、あれだけいちゃいちゃべたべたさせておきながら、2人の気持ちはどこまでもビジネスライクだとも思っている(しかも結構本気で)のが不思議なところで。

精神的なつながりでは、真田のよりもむしろ伊達主従の方が強い気がしています。
私の中では、伊達主従は滅多に身体的接触はありません。筆頭の気性からして、無上の信頼は寄せてもそうそう手放しに甘えることはなさそうだし、右目にしても主と従のあるべき距離というものを心得ていると思うのですよ。そういう意味では真田主従よりもかなり大人。

ただ、伊達は coolぶって格好つけてるけどほんとは寂しがりの心弱い子 というイメージでここまで来ています。右目がいることで虚勢が盤石なものになっている という言い方も変ですが、そんな気がするのです。
虚勢を見せる相手がいなくなってしまえば、必死に取り繕おうとしてがちがちに凝り固まって、いつか何かの拍子に粉々に砕けてしまう。
小十郎の方も、もう筆頭のために生きてるような感じがひしひしとしているので、万一先立たれでもしたら、禁じられていても後追って腹切るんじゃなかろうか。小十郎ってぶっちゃけ筆頭の言うことあんまり聞いてませんからね。

そんなわけで、伊達は右目がいなければ進むことはできないし、小十郎は筆頭がいなければ立っていることはできないのだろうと思うのです。


真田の主従がどういう意味で乾いた関係かといえば、旦那は佐助がいなくても前に進めるし、佐助も旦那がいなくても生きていくことはできるんだろうということ。

旦那は端からお館様以外は二の次なので、ある日忍が帰らなくても割合淡々とおやかたさまに従い続けている気がします。なんか足りない気がするけど、人が一人いなくなればこんなものだろうと思いこんでる。
佐助も、旦那以上に仕え甲斐のある主はいないだろうと知っていながら、それでも旦那がいなくなって生き残ってしまったなら、どこかで別の地で主を探して仕えているんだろうと最近ぼんやり思います。なんというか、執着しないように、情に捕まらないようにあえて飄々としてるような気がしています。


長々と書き散らしてまいりましたが、要するにお互いの胸の空白に気づかないままっていうちょっと隙間のある佐幸にもえたのでした。
しかし、どろどろに依存しあって共倒れという展開も、よるべとしてはありです。

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2009/11/11 11:59 | ばさら

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